節酒と断酒の狭間で。酒害から開放されたい。
カテゴリ: 断酒
小学校の頃は、梅酒の梅が好きで、学校から帰り梅を食べていたことを覚えている。ほろ酔い加減を楽しんでいた。
中学になると梅酒の水割りからロックになり、次第にウィスキーを飲むようになった。
高校になると自室に閉じこもりウィースキーにコーラを混ぜて飲むようになった。
当時コークハイと言って同じような飲み方をする学生がいました。
大学受験時にはウィースキーのロックを飲みながら深夜まで勉強した。
学校の成績は学年のトップ3程度だった。こんな田舎(出身の福岡県北九州市)を抜け出して東京で生活することをいつも夢見ていた。
東京の大学を卒業し就職したがデスクの引き出しにウィスキーを隠し、やがて退職し地元の出身地の九州で雑貨店を営むようになっていた。
何度か転職を繰り返したが、何とか結婚もでき、娘も授かった。
40を過ぎた、5年ほど前から更に状況は悪くなっていきました。健康診断でγ-GPTが800を越えた時期があった。医者からは肝硬変の初期段階にあると診断された。
まず、辛い順に記すと
・夜睡眠薬がないと全く眠れなくなった。
・朝は起きるとすぐに嘔吐する。
・朝歯を磨けない。
・通勤電車で立っていられない。
・何をするにも億劫になる。
・夕方になると飲酒欲求と戦わなければならない。
入院を検討したが、収入が途絶えることが生活を圧迫することとなり、無理と分かった。
2009年12月14日横浜市内のOクリニックを受診し、2010年正月から断酒するつもりだと訴えた。医者は次のとおり答えた。
「なぜ正月からですか。問題を先延ばしすることはお勧めしません。どうでしょう今からこの瞬間からお酒を止めるというのは。抗酒剤というのがあるのをご存知ですね。」
そしてその日から飲まない日が1ヶ月続いた。しかし、1ヵ月が2週間になり、1週間となり、忙しい日々に戻りつつあった。土日は飲んで平日は月曜の朝から抗酒剤を飲み、何とか週の半分以上を飲まない日とすることに相当の努力を要するようになった。ある日地獄が襲ってきた。
10月1日(金)2日(土)3日(日)といつもより酒量が突然多くなり抑えられなくなった。
そして10月4日(月)出勤した。10時。会社のデスクの前。猛烈な飲酒欲求。いてもたってもいられない。目が見えない。めまいで立っていられない。大きな声で叫びださないといられない。取引先から次から次へとかかってくる電話・苦情。体調不良ということにして帰るか。いや今日は仕事が山のように溜まっている。普通に考えれば終電まで必死に集中してこなす必要がある。もう全てをここで投げ出すか。
抗酒剤シアノマイドがデスクの中にある。トイレで紙コップでビンの半分ほど飲んだ。ほんの少し落ち着いたか。これで突然会社を抜け出して飲酒をすることはなくなるか、または外でぶっ倒れるかだ。
死という言葉もかすか遠くで聞こえる気がした。
あとは、2時間おきにスプーン半分のシアノマイドを飲んで23時まで耐えた。翌日からの断酒を決意。その後は飲んでいない。
翌朝Oクリニックへ向かい、こう鬱剤と強めの睡眠薬を処方してもらった。
夜はクリニックのミーティングに参加。8日に断酒会の会長に電話。9日(土)断酒会参加。12日(火)AAに参加。
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2010.10.14 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


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Author:チェリー
第一章 アルコール依存症中年サラリーマンの断酒日記。断酒1000日を達成しました。
第二章 肺がんステージⅢの闘病記

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